ゴミ大陸、南極

南極。地球上で最も人為の及ばぬこの大陸がいま、ゴミの「不法投棄」に汚染されている。

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三度めの南極行き。今回は東南極を訪れた。ここが長いことベールに包まれていたのは訪れようにも交通手段がほとんどないからだ。通常は年数回ほどの基地への補給船が就航しているだけである。だから、東南極はたくさんの観光船が行き交う南極半島のようにはいかない。東南極にはいまだに発見されていないペンギンのコロニーもあるという。めったに見られないコウテイペンギンやアデリーペンギンの巨大なコロニーはたしかに感動ものだ。しかし、ぼくはこの東南極で意外な光景を目にした。それは、鉄屑と化した巨大な南極基地の姿だった。ペンギンの可愛らしさや氷山の美しさからは想像もできない、まったく醜い、人間として恥ずべきものだった。
 一九九七年十二月二八日、砕氷船はオーストラリアの港から一路南極を目指して出港した。砕氷船はオーストラリア地理学会がチャーターしたもので、色々な国からの様々な人が乗船していた。ぼくが唯一の日本人だったが、「南極行き」が長年の夢だったということで、みんなの気持ちが一致していた。顔ぶれの中にはオーストラリア南極基地の創設にたずさわった年配の学者も何名か含まれていた。ひと月あまりの行程で、船は五ヶ所ほどの南極基地を訪問し、途中で何ヶ所ものペンギンのコロニーに立ち寄った。
 年が明けて一月六日、船はモーソン南極基地沖合いに到着。流氷が想像以上に広く海をおおっていた。船は接岸を断念。だが幸いなことに、船に搭載してきた二機のジェットヘリコプターが上陸を可能にした。
一月九日、モーソン基地から東に六百キロ移動。ロシアのプログレス南極基地がそこにあった。南極全域には約百余りの基地があり、現在も増え続けているという。しかし同時に、それぞれの国の経済事情の違いにより、閉鎖する基地も確実に増え続けている。ベイリングハウゼン・ロシア基地のスタッフによると、特にロシアは深刻だという。ロシアはかつてアメリカに対抗するかのように南極基地を増やし続けた。だが冷戦が終わると、経済危機にみまわれ、基地の維持が困難になった。ロシアはすでにいくつかの基地を閉鎖している。その数はこれからも増えそうである。このプログレス基地は九二年四月に閉鎖された。

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この基地の周辺には、数えきれないほどの錆びついたドラムカンが放置されていた。ドラムカンから漏れ出た液体が地面を汚し、ガスボンベもたくさん散らばっていた。建物も窓ガラスが割れたりドアが壊れかけているものが多く、損傷もかなり進んでいた。この南極のゴーストタウンを歩き回りながら、ぼくはずっと空しさから抜け出せなかった。
「地の果てと思って来たのに、目の前のゴミの山はいったい何なんだ。これじゃ日本の悪臭を放つゴミ捨て場と同じじゃないか」とため息まじりに、ひとりで文句を言っていた。
 人間の欲望は極地にまで及び、もう地球上には人間の汚染から逃れられる場所は残っていないのかもしれない。
 東南極にだけゴミの山があるわけではない。南米から比較的簡単に行ける南極半島やその周辺の島々には、いまでも巨大な捕鯨基地がたくさん“廃棄”されている。今世紀初頭に建てられた捕鯨基地は、いまでは荒れるがままのゴミと化している。

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南極半島の西岸沖に位置するデセプション島。一九一一年、島の入り江にノルウェーの捕鯨基地が建設された。基地は約二十年間に渡って操業されたが、石油の発見にともない鯨油の価格が下がったために閉鎖された。後に英国が四四年から、捕鯨基地の隣に科学基地を建設した。だが、たびかさなる火山の噴火などによって、英国基地も最終的には六九年二月に閉鎖された。

九一年十月、南極の廃棄物の処分も含めた環境保護に関する「南極条約議定書」が採択された。これには動植物種の保存、廃棄物の適正な処理等包括的な措置が定められている。南極における領土権の凍結、軍事利用の禁止、科学的調査のための国際協力の推進を目的として、六一年六月に発効した南極条約を補足するものだ。

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南極条約の趣旨に従うかのように、ディセプション島では「ゴミ」の撤去作業が九〇年から九二年にかけて行われたことがあった。だが、それはわずかな量にしかすぎなかった。その後、驚くべきことに、まるで撤去を免れるかのように、島の捕鯨基地は文化財として申請された。そして九五年、南極条約の重要文化財七一番の史跡に指定されたのだ。「史跡」に名を借りた「ゴミ」の永久投機。南極条約自体が、逃げ道だらけの笊法にならないことを祈るばかりである。

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廃墟となった倉庫にはたくさんの缶詰が捨てられていた。

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bulletボイラー室に残る人の顔のような機械。鯨肉の煮炊きや基地の暖房に使われた。(左下)
bullet南極は無菌室という。何年も前のパンが腐らずに残っていた。(真中上)
bullet退去の日は、よほど慌てていたのだろう。まるで、昨日まで人が住んでいたようだ。(左上)
bullet1cmたらずの隙間もあれば充分。ブリザードの吹雪は瞬く間に部屋に雪を積もらせてしまう。(右)

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spol17.jpg (17216 バイト) (右)海から引き上げられたクジラは、滑り台をのぼって裁断や煮炊きの行程にまわされた。

(左)

基地に置き去りにされた捕鯨船。銛を付けた砲台が往時をしのばせる。船尾側は沈没状態。

spol10.jpg (20569 バイト) 捕鯨基地(左)

南極圏で最初の捕鯨基地、グリートビッケン。1904年、ノルウェー人によって始められ、66年まで操業された。

 

 

(右下)

英国基地に置き去りにされた飛行機。この飛行機はかつて南極半島の調査に威力を発揮した。

南極に基地を建て維持していくには莫大な資金が必要とされる。同じくように、南極から物を運び出すのにも途方も無い経費がかかる。もしかすると、撤去するほうが建てるよりも高くつくかもしれない。人の目にほとんど触れないのをいいことに、放置される南極のゴミ。捕鯨基地も科学基地も一時閉鎖という名目で捨てられ、ゴミと化していく。ペンギンの繁殖地に造られた建造物がやがて廃棄物となり、周囲の環境を汚し続けているのだ。たとえ人間が去っても、残されたゴミは自然の復元を永遠に阻んでいる。近い将来、南極のゴミのほとんどが、ただ古いというだけで史跡として登録されるのかもしれない。ゴミ史跡をどのように眺めろというのだろうか。その論理でいけば、我が国にあるゴミの山も古い順に文化遺産として登録すべきだということになってしまうのではないだろうか。

公然とゴミが捨てられ続けている南極。「地球に残された最後の楽園」というにはあまりにもお粗末な現状である。

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英国国旗とペンギン      十字架

南極の地図

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